なんとか元気でやってます

当ブログは頭の中の整理に使いたいと思っています。よろしくお願いいたします。

幸せについて本気出して考えてみた

まあ、本気出したというわけでもないのだけど…笑
幸せって何なのだろう?っていうのは、かなり多くの人が時々考える事なんじゃないかな。

突然、「はい!幸せって何だと思う???」って聞かれると、
多くの人は多少の差はあれど、こんな事言い出すんじゃないかな。

「お金がたくさんあって、
良い伴侶がいて、
仕事もハードじゃなくて、
美味しいもの沢山食べれて…
あ、大きな一軒家も…」

でもさ、これって、自分のことしか考えてないよね。
多分これが実現しても、なんとなく空虚だと思う人って結構現れると思う。
(まあ、これで心から幸せと思える「オメデタイ」人もいるけどね)
現にこういう生活していても不幸せそうにしてる人って結構いるよ。
これは幸せとは呼べないだろうね。


で、これより精神的なレベルが1つ上がると、こう答えるんじゃないか。
「家族や友人、気に合う人達と楽しく過ごすこと」

これはまあ、わかるっちゃわかるよね。
ドラマや映画でも、こういう幸せの形を描く作品は多い。
「世の中お金だ」という人がいると、「お金がなくても幸せになれる!」とちょっと引きつった顔をして反論してくる人は必ず現れるけど、こういう人は上みたいな答えになるんでしょう。
ただ、僕は思うんだけど、気の合う人たちと楽しく過ごして、自分の周りだけ幸せでそれで幸せです、満足です、なんて、ちょっとどうなの?って思う。
アフリカの貧困や、中東の戦争は未だになくなる気配すらないし、3・11で家族も友達も失って失意から抜け出せてない人だっている。
そんな人達を思う時、自分の周りだけ幸せハッピーでぇす!なんて、クソ食らえ、と思ってしまうのだ。
言わば、不幸な人の上に成り立ってる幸福を享受して、それで心から幸せを感じてるようなもんだろう、と。
それを幸せと呼べるんでしょうか?


ってわけで、こうして僕の考えを辿って行くと、僕の思う幸せは、世間の思うものとだいぶかけ離れていってしまう。
ハッピーな気持ちが湧き出てきたら、アンハッピーなことを想え、って言ってるようなもんだからね。
ってここまで思考してみて、気づくことがある。
「別にハッピーな気持ちが起きた後、アンハッピーな事実を持ち出すところまではいいけど、
別にそれをもってアンハッピーな気持ちになる必要はない」
つまり、勝って兜の緒を締めつつも、勝った時の幸福感は持っていれば良いのだと気づいた。
で、この考え方をして、ハッと気づいた。
生きているといろんな嫌な事(=アンハッピーな事実)が起こるし、それは避けられない。
だけど、それを受け止めつつも、アンハッピーな気持ちにはならずに、ハッピーな気持ちを持ち続けていれば良い。
何が起こっても、ハッピーな気持ちでいればいい。
ただし、いつも良い気分でいながらも、現実へのアンテナを張り続けることは忘れない。
これが大事なんだ、と。

というわけで僕の結論は、「幸せとは、常に良い気分でいること」です。
つまり、幸せは、未来にではなく、目の前にあるわけですね。
…っつっても難しいけど。